ラジオの師匠
今回は少し個人的な話をさせてください。
自分は子供の頃からラジオをよく聞いています。
そのきっかけが何だったかを考えてみると、子供の頃に聞いたカーラジオです。
その頃はよく週末になると片道1時間ほどかかる母方のおばあちゃん家に泊まりがけで行っていて、
母親の車はCDやカセットテープが再生できなかった為に車の中ではラジオが流れていました。
特に覚えているのは岡山のRSKラジオで放送されていた「トヨペットQ ヒッツ本町倶楽部」という音楽番組です。
毎週、1組のアーティストをピックアップして中継先の駅前のスタジオでMVを流しながら、放送ではリクエスト曲や番組オリジナルの邦楽ランキングを発表。
他の番組のランキングとは全然違う順位が大好きでした。
番組を担当するアナウンサーの方の中で特に覚えているのは
早田和泰さんという男性アナウンサーです。
中学生になると自分はCDラジカセを持ち、部屋でもラジオを聴けるようになりました。
その頃になると番組も形を変えて、ランキング部分だけが早田さんの担当する「HITS ISLAND TOP20」という深夜ラジオ番組として放送。
自分も大好きで毎週聞き続け、気づけば「トヨペットQ-」と共に初めてリスナーになった番組になりました。
そんな思い出深い番組も早田さんの「I'll be backー」という
” 再び会う ” 約束と共に終了ー
それと同時に自分も「オールナイトニッポン」など新たに色々な番組を聴くようになりました。
早田さんも新たにRSKラジオの老舗洋楽番組「サンデーベスト」を担当され、
それがきっかけで洋楽をあまり聴かなかった自分も番組を通して知った洋楽を聴くようになりました。
そして、いつか番組にハガキを送りたいー
そんな思いが芽生えるようになった自分はハガキを送ることを決意。
すると…
何と自分のラジオネームを読まれた瞬間に早田さんが笑ってくれました。(^^)
気に入っていただけたのか、その後も度々ラジオネームで笑っていただき、自分も時には少し変えたりして、この対決(?)を楽しみました(^^)
その後、早田さんはラジオからテレビへ異動、RSKも退社されて拠点を出身地の関西に移されました。
自分も早田さんが卒業された後もラジオにハガキを送ることはありましたが、生活環境が変わる度にそれも少しずつ減っていきました。
ただ、この頃から変わらずに今でもラジオは聞いています。
あの頃のハガキ職人の経験は今でも自分の中で覚えている大切な思い出です。
そして、自分をそんなラジオの世界に導いていただいたと言っても過言ではない早田和泰さんには今でも感謝の気持ちでいっぱいですー
そんな中、1つの訃報 を知りましたー
フリーアナウンサーの早田和泰さんが
11月30日亡くなられましたー
かねてより病気療養中だったそうです。
自分は関西に拠点を移されたことも実は人づてに聞いたことであり、一般的にはそこまで大きな繋がりのあった方ではないのかもしれません。
ただ上手くは言えませんが、今までの有名人の方の訃報とは少し違う感覚があります。
実はRSKテレビを担当されていた時に一度だけ早田さんに偶然お会いしたことがあります。
「こんなにしっかりとしてそうな人だったんですね」と言われてとても嬉しかったです。
一般的にはただのリスナーとパーソナリティーの関係だったのかもしれませんが、自分にとってはハガキを送る前から早田さんはそれ以上の大きな存在でした。
早田さん
自分は今まで一度も伝えたことがなかったかもしれませんが、勝手にあなたのことを ” ラジオの師匠 ” と思っていました。
あなたが自分をラジオの世界に導いていただいたおかげで、たくさんの番組を聴き、たくさんのパーソナリティーの声を聞くことができました。
そのたくさんの番組やパーソナリティーの皆さんは時には自分を救っていただいたり、時には自分の背中を押していただいたりしてくれました。
今の自分があるのは、あなたが自分をラジオの世界に導いていただいたおかげです。
自分はこれからもラジオを聞き、そして、ラジオを通して教えていただいた音楽を聴き続けます。
そして、たまにですが、あなたが愛してくれたラジオネームでこれからもラジオにメールを送っていこうと思います。
早田和泰さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
自分をラジオの世界に導いていただき、本当にありがとうございました。
これからも自分はこの世界で生きていきます。
どうか安らかにー
最近のコメント