みんなにえみふる
東京ヤクルトスワローズ公式マスコット・つば九郎先生を長年一番近くで支え続けていただいたスタッフの方が亡くなられました。
つば九郎先生は1994年にデビュー。
スタッフの方もその頃から支えられていたようで、本当に 0 から二人三脚で「つば九郎」という唯一無二のマスコット像を確立されたんだと思います。
自分も今、シーズンオフに「マスコット先生」という完全に自己満足なマスコット動画の記事を書いていますが、
そのきっかけになったのがつば九郎先生でした。
2012年に ” マスコット史上初のFA宣言 ” を発表ー
オファーのあった様々な企業を体験した結果…
「みやもとさんをてぶらでかえすわけにはいかない」ー
と再び宮本選手と日本一を目指すために残留を決意。
この一連の流れをきっかけに興味を持ち、つば九郎先生を始めとするマスコット達の動画を見るようになり、記事を書き始めました。
つば九郎先生といえば、「空中くるりんぱ」や、切れ味鋭いブラックジョークの「フリップ芸」が有名です。
ただ ” 毒舌 ” のブラックジョークには相手に対しての愛が溢れていました。
それを感じるからこそ、つば九郎先生は球団ファンだけでなく、他球団も含めたたくさんのプロ野球ファンに愛される存在になったと思います。
また、相手に対してのリスペクトの溢れたパフォーマンスもたくさん見ました。
上島竜兵さんが亡くなられたときにはブログに「#くるりんぱつづけます」
そして、今くるよ師匠が亡くなられた際の東京音頭ではこんなシーンがありました。
こういった愛にあふれた姿、そして、細かい演技力が認められたつば九郎のことをいつしかプロ野球ファンは「先生」というニックネームで呼ぶようになりました。
そんなつば九郎先生の魅力は球場に留まらず、球団のYouTube、地域のイベント、テレビのバラエティー番組…
更にはドラマ、マンガ、雑誌の表紙とその活躍の場を広げ続け、つば九郎先生に魅了される人もどんどん増え続けていきました。
スタッフの方に育てられたつば九郎先生は今では世界でも類を見ない、唯一無二のマスコットへと成長していきました。
それだけに今回の訃報は自分としても寂しいですね。
SNSでも球団関係者だけでなく、つば九郎先生をきっかけにプロ野球に興味を持ってくれたたくさんの方々が追悼されています。
つば九郎先生が最初に仕えた指揮官である野村監督の座右の銘で、
” 金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流 ” ー
プロ野球界だけでなく、世界中にたくさんのファンを残したつば九郎先生、そして、そのスタッフの方は間違いなく ” 超一流 ” です。
つば九郎先生は当面の間活動休止となりましたが、個人的にはブレーンとも呼べるスタッフの方が亡くなられたことで、形は変わってしまうかもしれませんが、またいつか思いを背負って球場で暴れ回るつば九郎先生を見ていきたいですね。
つば九郎先生をこれまで支えていただいたスタッフの方。
つば九郎先生をここまで大きく育てていただき、ありがとうございました。
自分を含めて先生にたくさんの笑顔の ” えみふる ” を頂き、それに支えられてきた人はたくさんいます。
自分たちを助けていただき、本当にありがとうございました。
スタッフの方の思いを受け継ぎ、プロ野球を盛り上げていくこれからのマスコットの活躍を空から見守ってください。
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