百折不撓の人生
2024年4月ー
元横綱・曙太郎さんが亡くなられました。
自分が子供の頃、若貴のライバルとして活躍し、憎らしいほど強かった横綱でした。
ハワイ出身の曙さんは師匠である東関親方にスカウトされて角界入り。
その際に母親から猛反対されるも押し切っての来日でした。
同期入門は貴乃花、若乃花、魁皇… と後に時代を作る面々であり、『花の六三組』とまで言われました。
初めこそ慣れない相撲に苦戦するも、2mを超える体格を活かした長いリーチからの強烈な突き押しを武器に番付を駆け上がり、
1993年には外国出身力士として史上初の横綱に昇進します。
横綱昇進後、角界のトップの地位に恥じない強すぎる横綱として勝ち星を積み重ねていきました。
自分も ” 若貴フィーバー ” の当時、曙関は若貴にとって「高すぎる壁」となるライバルとしての憎たらしいほどの強さに嫌な感情を持っていました。
ただ、たまにドキュメンタリー番組で地方巡業に密着取材を受けている際に見せる優しい素顔にはほっこりしていました(^^ゞ
曙関を倒すべく、貴乃花・若乃花・武蔵丸と続々と力をつけた力士が横綱に昇進。
そんな中でも毎場所優勝争いに関わる活躍で1998年には体調不良の貴乃花関に変わり、長野五輪の開会式で土俵入りを披露。
角界全体が盛り上がりを見せていきました。
しかし、その巨体を支える両膝が悲鳴を上げた曙関は欠場が増え、優勝争いからも遠ざかる日々…
そんな中でも2000年には19場所ぶりの優勝を達成。
ですが…満身創痍の曙関の気持ちはここから再び土俵に向かうことはありませんでした…
優勝した場所の翌場所を全休ー
その場所で貴乃花関の ” 世紀を超えた復活優勝 ” を見届けて現役引退を発表されましたー
曙関の相撲人生と切っても切れないのは、やはり若貴兄弟との対戦です。
同期入門として初土俵から数多くの名勝負がありました。
若乃花関とは取り組み前で土俵上ににらみ合う姿も何度も見ました。
また、曙関が優勝した場所でも千秋楽で貴乃花関に敗れて悔しそうにインタビューに答える姿もありました。
若乃花関が引退された際には一番印象に残る取り組みとして、「曙のふところに入り込んで豪快に投げ飛ばした一番」、
そして、曙関が引退された際の同様の質問には
「初めて貴花田(当時)と戦った一番」を挙げられました。
それほどまでに互いを意識し合い、頂点を目指したライバル関係でしたね。
ただ、自分が曙関の取り組みで一番印象に残っているのは、
若貴との対戦ではありません。
1993年11月場所ー
ハワイ出身力士の大先輩であり、「雲の上の人」とも称し、
尊敬していた大関・小錦関ー
前の場所を負け越してしまい、大関に留まるためにはもう1敗もできなくなった状況で、運命のイタズラか対戦相手になったのは曙関でした。
「正直言って休場したかった」ー
後日のインタビューでそう応えていた曙関でしたが、大先輩に手を抜くのは失礼だと全力で相撲を取り、結果は曙関の勝利。
この一番で大関陥落が決まった小錦関に対して曙関はせめてもの感謝を表すために一礼。
大先輩に引導を渡すことになってしまったこの一番の翌日、曙関は小錦関に謝罪をしましたが、
「これから相撲界を支えるお前が俺に勝てないでどうする」ー
と逆に小錦関に叱責されたそうです。
先輩からのバトンを受け取った曙関はこの後も優勝を重ね、大関陥落となった小錦関はこの後も我武者羅に戦う姿が多くのファンに力を与えてくれましたー
また、大相撲を引退された後の曙関は総合格闘技に挑戦。
2003年大晦日のボブサップとの対決は視聴率で紅白歌合戦を上回り、大きな話題に。
しかし、元々の優しい性格が災いしてか格闘技では成果を残すことはなく、プロレスに参入。
そんな中でTBSの「クイズ☆タレント名鑑」で行われた、有名格闘家を集めて相撲トーナメントを行う「ガチ相撲」という企画に参戦。
入場の際に「第64代横綱・曙太郎~~!!」と実況にアナウンスされた時のワクワク感は忘れません。
横綱ということでトーナメントは決勝までのシードとなりました。
司会のロンブー田村淳さんからも「子供の頃に見ていた強い曙さんを是非見たいです。」とエールを送られ、
迎えた決勝戦はトーナメントを勝ち上がった、プロレスの中西学さんと対戦…
開始直後の張り手で相手を吹き飛ばし、トーナメントの勝者を寄せ付けずに押し出しで圧倒的な勝利ー
全盛期の曙関を思い出して嬉しかったですね(^^ゞ
その後も何度か「ガチ相撲」の企画はありましたが、ケガ等もあり、出場を辞退。
ですが、そのトーナメントを制した、K1のアリスター・オーフレイムや元関脇・若麒麟の鈴川真一さんは
「次は曙と戦いたいです」と闘志を燃やしていました。
もし、曙さんが健在だったらどんな戦いになっていたかー
今でもそれを考えてしまいます。
今回の訃報に際し、本当にたくさんの方がコメントを寄せられています。
当時、切磋琢磨していたライバルだけでなく、
朝青龍関など、しっかりと面倒を見ていた後輩達、
そして、故郷・ハワイのメディアやIOC公式サイトでも追悼されていました。
現役当時は「若貴兄弟」というヒーローに対抗するヒール役として扱われることが多かったですが、
強さと共に持って生まれた優しさにはみんな気づいています。
強くて優しい、「若貴兄弟」の最強のライバルでした。
曙太郎さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
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