ありがとう、天下の名将―
朝、ネットニュースで第一報を知ったとき、ガセネタであってほしいと思ったのですが、それは叶いませんでした。
プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、それぞれのチームの礎を築いていただいた、” 天下の名将 ” 野村克也監督が亡くなられました。
自分が野球を見始めたのは1992年、暗黒時代の阪神タイガースが奇跡的に優勝争いを行っていた年です。
その時に最後までペナントを争い、最終的に抜かれてしまった相手こそ野村監督が率いるヤクルトスワローズでした。
ですので最初は正直、あまりいい印象はなかったのですが、それから数年後、低迷を続ける阪神が再建を託した人物こそ野村監督でした。
阪神監督就任後、チームはそれまでにない動きが出てきました。
「ピッチャー心理を読め」とどんなに教えても感覚で打ってしまう新庄選手は実際にピッチャーとして登板―
経験と度胸のある遠山投手をサイドスローにして” 松井キラー ” として再生―
後に『遠山―葛西―遠山―葛西』というリレーもありました―
ロッテから戦力外通告を受けて入団テストを受けに来た成本投手は「球団と揉めたのか?監督から嫌われたのか?」と声をかけられてそのシーズンのストッパーとして復活―
相手の隙を突いた”ツーランスクイズ”―
巨大戦力に機動力を武器に戦おうと結成した” F1セブン ”―
結果的には3年連続の最下位でしたが、” 弱者の戦い方 ” を知る野村監督ならではの野球理論は確実にチームに浸透していたと思います。
その証拠に星野監督が就任時のインタビューで阪神の再建を聞かれたときにこう話されています。
「あの野村監督をしてもダメだった…。ただ、野村監督がしてくれたおかげで一筋の光が見えた」―
その光をたどって星野監督の下、チームは2003年に18年ぶりのリーグ優勝を果たします。
また、野村監督がインタビューでこうも仰っていました。
「他のチームは打撃や試合巧者といった特徴を持っているが阪神にはそれがない…。”阪神と言えば投手力”というチームを作りたい。」―
あれから数年がたち、今阪神タイガースはまさにそういうチームに育っています。
10年以上ずっと最下位争いをしていた、どうしようもないチームを立て直す種を植えていただいたのは、間違いなく野村克也監督です。
また教え子の中には侍JAPANの稲葉監督や阪神の矢野監督を始め、何人も監督・コーチとして野球界に貢献し続ける方がいます。
ボヤキで辛口なイメージもありましたが、本当に選手たちから慕われる方だったと思います。
自分も社会人になってから人を教える立場になって、野村監督の著書を何冊も読ませていただいております。
自分も決して一流の人間ではありません。ただ、弱者なりの戦い方ならできます。
選手の性格を理解して、なんとか活かす方法を考える姿勢は自分も見習っていきます。
野村監督、阪神タイガースの再建の基礎を築いていただきまして本当にありがとうございました。
天国で最愛の奥様とどうか安らかに―
”天下の名将”野村克也監督のご冥福を心よりお祈りいたします。
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