とりあえず
どこから説明すればいいのか分かりませんが、事の始まりは昨年の12月21日です。
1年契約の常勤講師である自分は、校長・教頭の両氏と来年度についての面談を行いました。その席では、自分の”社会人1年目での苦労”や”人間性”を評価して頂いたのですが、「やはり集団をまとめるには力不足で大卒1年目というハンデを除いても学校側の求める及第点には達せず来年度の契約を結べない。」と言われてしまいました。その際に、「この仕事は向いてないのではないか?」とも言われたのですが、自分自身たった1年やっただけで判断したくないという思いがあり、再び職場を探す事になりました。
ちなみに翌日は自分の誕生日だったのですが周りから「おめでとう」と言われてもあまり実感はありませんでした。ただ、朝クラスに行った時に生徒に「おめでとう☆」と言われた時はうれしかったです。
せめて今教えている高校2年生のこの子達が卒業するまでは面倒を見たかった ―
自分自身こういった思いが強く辛くて泣きそうになる時もありました。
それから1ヶ月次の職場を探しましたがこの時期という事もありなかなか見つかりません。
そんなある日、今勤めている学校の非常勤講師の採用試験がある事を知りました。
一度戦力外通告を受けている身でありながら再びお願いをするのはあまりにも自分勝手ではないかという思いもあり、かなりためらったのですが、やはり”今の教え子が卒業するまでは面倒を見たい” という思いが強く、また、もう自分の思いを伝えずにダメになるのは嫌だったので、玉砕覚悟で試験当日に教頭先生に来年度の非常勤講師になれるように頼んでみる事にしました。
ただ、いざ勇んで行ってもやはり最後の一歩が踏み出せずにいました。
そんな時、たまたま学校に来ていた同僚の先生に相談し、何とか最後の一歩を踏み出しました。
自分の好きな「ラフ」という漫画にあるセリフなのですが
”同じ失敗をするなら若いうち大抵の事は後で笑い話になる”―
何年かしてこの話で同僚の先生と笑いながら飲みたいと思います。
不思議な事に、教頭先生は何だか自分がこういった申し出をするのを待っていた様子でした。その後、校長先生にも何とかお願いし、来年度の非常勤講師として1年間契約していただきました。
後から知った事なのですが、事情を知った何人かの先輩の先生方が、何とか自分が来年残れるように頼んで下さっていたそうです。また、学年主任の先生は自分が戦力外通告を受けた事を報告した後に納得できなくて、校長室まで抗議に行って下さいました。
本当にこんな皆さんに支えられて、来年度何とか学校に残る事ができました。
ありがとうございました。
また、今回の件で色々な方に迷惑をかけてしまったのも事実です。
本当にすいませんでした。
ただ、やはり”今の教え子が卒業するまでは面倒を見たかった”―それだけなんです。
来年度自分にとって最初の生徒が卒業する姿を見届けたいと思います。
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